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福井地方裁判所 昭和59年(モ)180号 判決

債権者

稗田貴美子

右訴訟代理人弁護士

八十島幹二

吉川嘉和

吉村悟

債務者

社会福祉法人福井県福祉事業団

右代表者理事

中川平太夫

右訴訟代理人弁護士

金井和夫

主文

一  債権者と債務者間の福井地方裁判所昭和五九年(ヨ)第三五号地位保全等仮処分申請事件につき、同裁判所が同年五月二五日になした仮処分決定は、主文第二項を除き、取り消す。

二  本件仮処分申請中、右取消しにかかる部分を却下する。

三  訴訟費用は、債権者の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者

1  本件仮処分決定(但し、第二項を除く。)を認可する。

2  訴訟費用は、債務者の負担とする。

二  債務者

主文第一ないし第三項と同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被保全権利

(一) 債権者は、昭和四七年一一月一日、債務者の職員として雇用され、以後、福井県国民宿舎トンネル温泉つるが荘(以下「つるが荘」という。)の応接員として稼働していた。

(二) 債権者は、昭和五八年八月一二日ころ、つるが荘の厨房の手伝いをしたところ、つるが荘の支配人である嶽義隆から、応接員は厨房に入らぬように注意され叱責を受けた。

(三) しかし、これまでたびたび応接員が厨房を手伝ったことがあっても、これを注意されたことはなかった。また、つるが荘ではその職員の一人である田中絹枝の専横ぶりが他の職員から批判されていたところ、右の支配人の注意も、田中のいいなりになっている嶽支配人が、田中の指示によりなしたものであった。

そこで、右注意に対し、債権者と嶽支配人とは口論となり、債権者は、以後つるが荘を欠勤した。

(四) 債権者が欠勤を続けていたところ、同月二一日ころになって、嶽支配人から出勤の要請があった。そこで、債権者は翌日から出勤する準備をしていたところ、同日の夕刻になって嶽支配人から出勤しないでよいとの電話があったので、結局、翌日からもつるが荘に出勤することはなかった。

(五) すると、その二、三日後になって、つるが荘の職員である森厚が債権者方を訪れ、嶽支配人からの伝言として、「無断欠勤を続けると懲戒解雇になる。そうなると退職金ももらえなくなるし、失業保険ももらえない。このまま辞職願を出せば穏便にはかってもらえるから、このような書式で出しなさい。」と伝え、退職願の書式を債権者に手渡した。

(六) 債権者は、これを聞いて、このままだと懲戒解雇となり大変な不利益を受けるものと信じて、翌日、書式にしたがって退職願を作成し、これを債務者に送付した。

(七) 債務者はこれを受理し、同月三一日付で右退職の申出を承認したので、債権者は債務者の職員たる地位を失った旨主張している。

(八) しかしながら、債権者の欠勤は、田中の専横及びこれに対して債務者が何らの措置をもとらないことへの抗議であり、債権者において何ら退職の意思のないことは明白であるのに、嶽支配人は、右事情を熟知し、しかも真実債権者を懲戒解雇とする事由も、またその意思も有しないのに、職員の森を通じて前記のとおり脅迫的な虚偽の事項を債権者に告知したのであるから、これを信じてなした債権者の退職願による辞職の意思表示は錯誤に基づくもので無効であり、仮にそうでないとしても、強迫によるものであるから本訴においてこれを取り消す。

2  保全の必要性

債権者は、つるが荘で稼働して債務者から受ける給与を唯一の生活の糧とする労働者であるところ、債務者は前記のとおり債権者の地位を否定し、給与の支払いも拒否しているので、債権者は、債務者に対し、本案訴訟においてその地位の確認を求めるものであるが、本案訴訟が終了するまでには相当期間を要するので、これを保全しておく必要性がある。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1(一)、(二)の事実は認める。但し、(二)は昭和五八年八月一〇日のことであり、嶽支配人は債権者を個人的に非難したものではない。

2  同1(三)の事実中、昭和五八年八月一二日から(同月一一日は債権者の公休日)債権者が無断で欠勤したことは認めるが、その余は否認する。

3  同1(四)の事実は否認する。

嶽支配人は、昭和五八年八月二〇日ころ、債権者を呼んで無断欠勤の不心得を諭し、翌日から必ず出勤するよう促したところ、債権者はこれを了承して帰宅した。ところが、嶽支配人は、他の職員が繁忙期に無断欠勤した債権者に対して感情を害している様子があったので、その晩債権者に電話して、明日出勤したら一応同僚に謝っておいたほうがよい旨告げたところ、債権者がこれに対し何も謝る理由はない、それなら行かないと言って支配人の言葉に耳をかさず、翌日からも出勤しなかったものである。

4  同1(五)の事実は否認する。

嶽支配人は、退職願の提出を強要したり債権者を脅迫するような趣旨の伝言をしたことはない。嶽支配人は、債権者の無断欠勤が続くならば懲戒解雇処分を余儀なくされると判断し、昭和五八年八月二二日ころ、森厚を介し債権者に、出勤するかやめるかは自由であるが、やめるつもりならば退職願を提出するように、そうでないと、無断欠勤が二週間以上になれば懲戒解雇の対象となる旨を伝え、その際に退職願のひな型を手交したものである。

5  同1(六)の事実は否認する。

6  同1(七)の事実は認める。

これにより、債権者と債務者との労働契約は合意解除されたものである。

7  同1(八)の事実は否認する。

8  同2の保全の必要性は争う。

三  債務者の主張

債権者と債務者の労働契約は、前記のとおり、合意解除により終了したものであるが、仮に右が債権者の何らかの錯誤に基づく退職願の提出という瑕疵によるものであるとしても、債務者の諸規程は全職員に配布されており、退職や懲戒解雇等に関する事項は債権者にも明らかであるから、右のごときは債権者自身の重大な過失に基づくものというべきである。

四  債務者の主張に対する認否

右事実は否認する。

第三疎明

疎明関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  債権者が昭和四七年一一月一日以来、債務者の職員として雇用されていたこと、及び債権者は昭和五八年八月二二日付で債務者に対し退職願の書面を提出し、同月三一日、右の意思表示が債務者に承認されたことは当事者間に争いがない。

右によれば、債権者と債務者間の労働契約は、退職願による合意解除の申込とこれに対する承諾により終了したものと一応認められるところ、債権者は、右退職願の提出による合意解除の申込は錯誤に基づくものであるとか強迫によるものであるとしてその効力を争うが、右のような事情についてこれを窺わせることはできない。

二  すなわち、債権者の右主張については、これに一部沿うかのような債権者の供述等はあるものの、前示争いのない事実に加え、(証拠略)及び債権者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると次の各事実が一応認められる(なお、右疎明資料中後記認定に反する部分は、他の疎明資料に照らし採用しない。)。

1  債権者は、債務者の経営するつるが荘に応接員として勤務していたが、昭和五八年八月一〇日午前中に厨房の手伝いをしたところ、同日昼ころ、同荘の連絡会の席上、嶽支配人から応接員は厨房に入らないように注意された。しかし、債権者は、従来から他の応接員もたびたび厨房の手伝いをしていたことなどから、嶽支配人の債権者に対する注意は、かねてから債権者と不仲であった同荘職員田中絹枝が支配人につげ口をしたためと考え、また嶽支配人が田中の言いなりになっているなどと立服して、嶽支配人と口論のうえ連絡会を中座して、そのまま早退してしまい、以後(翌日は同人の公休日であった。)、勤務先に対し何らの連絡もないまま出勤しなかった。

2  債権者は、欠勤中の同月一六日ころ、債務者の本部を訪れ、竹沢事務局長につるが荘の現状に対する不満を訴えたところ、同事務局長からは、無断欠勤はよくないのでとにかく職場に戻るように言われた。これに対し、債権者は、現状ではつるが荘に戻りたくない、退職したいと述べ、その際退職願のひな型を教えてほしい旨申し出たので、同事務局長は女子事務員を呼んで手書きの退職願のひな型(たて書き)を作成させ債権者に渡し、債権者はこれを受け取って帰った。

3  嶽支配人は、同月二〇日ころ、債権者の無断欠勤が長期に及んでいるため、債権者をつるが荘に呼び、出勤するよう諭したところ、債権者も同意し、翌日から出勤することを約して帰宅した。ところで、八月はつるが荘の最も繁忙な時期であり、債権者の欠勤がこの期間にあったことから、嶽支配人は、同日夜、思いたって債権者に電話し、翌日出勤したら繁忙期に欠勤したことを同僚に謝るように忠告した。すると、債権者は、自分が謝る理由はないなどとしてこれを拒否し、翌日からも出勤しなかった。

4  そこで、債権者の継続勤務の意思をはかりかねた嶽支配人は、就業規程上、欠勤が二週間に達すると懲戒解雇とせざるをえないこともあり、職員の森厚に退職願のひな型(横書き)を託し、債権者宅に赴かせた。

債権者は、森から、このままでは免職になるから退職願を提出するようにとの嶽支配人からの伝言を受け、右退職願のひな型を手渡された。

5  債権者は、同月二二日付で退職願(たて書き)を作成して債務者のつるが荘へ郵送し、また債務者の本部に電話して、退職願は出したが県の厚生部へ直接訴えたいことがあるので仲介するように竹沢事務局長に申し入れたりした。しかし、同事務局長は、債務者と県は関係がないので仲介できないとして右申し入れを断わった。

6  債権者の提出した退職願は、同月二六日、嶽支配人から債務者の本部に届けられ、これが承認されて、同月三一日付で辞職を承認する旨の辞令が発せられた。

7  その後、債権者は退職辞令を受取ったうえ、同年九月中に債権者から債務者に対して退職手当請求の手続がなされ、同月一七日、債権者はその退職手当金を受領した。

以上の各事実が一応認められる。

右認定の経緯からすれば、債権者は、森厚の伝言を受ける以前から退職を考えていたことが明らかであり、右に加え、伝言を受けた後も何ら嶽支配人にその趣旨を問合すことも、また自己が真実職場に戻りたいとの意思を表明することもなく退職願を提出していること、さらに提出された退職願の様式は森から受領したものと異なり、それ以前に本部で受取ったものと同様式のたて書きのものであるなど本件退職願提出の前後にわたる事実関係に照らすと、債権者はむしろ森厚からの伝言の内容とは別途、独自の判断で退職を決定したものと認められる余地すら存するのであって、これらを併せると債権者がその意思を決するにあたって、その主張のような瑕疵があったと認めることは、とうていできない。前示債権者の供述等は措信できない。

したがって、債権者の本件退職願提出による労働契約合意解除の申込みについて何らの錯誤も存しないことは明らかであって、また、前記認定事実によれば、何ら強迫による意思表示に該当するものでないことも多言を要しない。

三  以上の認定判断によれば、その余の点につき判断するまでもなく債権者の本件仮処分申請は被保全権利の疎明を欠くものであって、また、これを保証によって代えることも相当ではない。よって、本件仮処分決定中、その申請を認容した部分を取り消し、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山義夫 裁判官 園部秀穂 裁判官 石井忠雄)

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